団体貸出



「バラせん広場」
星野 英俊

 


 「よっちゃん、バラせん広場があいてるよ」
  夏休みに入って二日目、午後一時を少しすぎたころ、佳夫の家に俊也がしらせにきた。
  バラせん広場とは、佳夫たちの町では一番大きな、さびたバラせん(とげのついた鉄のせん)でかこまれた あき地のことだ。そこは、六年生たちが毎日野球をやっている、かれらのせんりょう地だった。
  その日、いつも野球をやっている四年生のメンバー十一人がバラせん広場にぜんいん集合するのに、三十分はかからなかった。みな広いところで野球をすることに、うえていたのだ。
  午後四時半をまわったころ、佳夫たちは少しあつさにばて、さすがに野球にもあきてきた。
  「おい、おれも野球にいれてくれないか?」
  バラせんをくぐって広場にはいってきた高校生ぐらいの、まっ黒な顔をしたお兄さんが、佳夫たちに声をかけたのだった。
  「え」
  佳夫はみんなの顔を見まわした。だれもへんじができないでいる。するとお兄さんは、まっ白いはを見せ、ニヤリとわらった。
  「おれがキャッチャーをやってやるから、もっとちゃんとした野球をやろうぜ」
  その日いらい、夏休みのほぼ毎日、佳夫たちは、お兄さんと野球をするようになった。お兄さんの名前は、だれもがえんりょして聞かなかったから、わからなかった。しぜんにみんなは「お兄さん」とよぶようになっていた。
  お兄さんのかみは長く、少しパーマをかけているようで、ひたいやかたのところでうずをまいていた。いつも白か水色のTシャツをきて、おなじジーパンをはいていた。
  お兄さんがバラせん広場にあらわれるのは、おひる前のこともあったし、夕方近くのこともあった。六年生たちは、お兄さんがこわいのだろう、けっきょくバラせん広場を佳夫たちにゆずった。お兄さんのおかげで、佳夫たちは、広い場所で大すきな野球にねっ中できるようになったのだ。
  お兄さんはやさしかった。自分のだせきでは、じょうずに外野がとれるようなフライをうった。そして、キャッチャーをする時はどんなボールでもとってくれるので、ピッチャーの佳夫や健太郎はのびのびと投げることができた。おかげでコントロールも身についてきた。
  夏休みものこすところ一週間ほどとなったある日のこと。その日は、お兄さんがバラせん広場に来られないと言っていたので、四年生十一人は、市民プールにでかけた。
  市民プールにむかって歩いているとちゅう、高そく道路の下で、大きな道路工事をしていた。佳夫たちが、歩行者用のつうろを歩いてた時、せんとうの弘明が大きな声をあげた。
  「お兄さん!」
  たしかにお兄さんだった。黄色いヘルメットをかぶったお兄さんが、セメントをシャベルで力強くねっていた。セメントまみれになっていたお兄さんは、おどろいて顔を上げた。
  佳夫たちは、だれも何も言えなかった。お兄さんも、佳夫たちの方をにらむように見て、ひとこともかえさなかった。
  佳夫たちは、つぎの日からバラせん広場に行かなくなった。だれが言い出したわけでもないが、広場をさけるようになった。
  二学きがはじまったばかりのある日、佳夫たち四年生が学校から帰るとちゅう、でんしんばしらのかげから、とつぜんひとりの男がとび出してきて、佳夫たちの前に立ちふさがった。お兄さんだった。
  「お前たち、野球はやめたのか?なんでおれをさけるんだ。おれが学校へいってないからか?工事げんばではたらいているからか?」
  お兄さんの声はふるえ、目には、なみだがうかんでいた。それを見て、佳夫たちはぜんいんうなだれてしまい、だれも何もことばをかえすことができなくなってしまった。
  お兄さんは、それいじょう何も言わず、しばらくすると、せをむけ、走りさっていった。
  その秋、バラせん広場では、マンションのけんせつ工事がはじまった。


戻る