団体貸出



「おかあさんのケーキ」
山田 陽子

 

 「ただいま」玄関から絵里ちゃんの声がします。
それを聞いておかあさんは(おや?)と思いました。
  いつもなら「おなかすいた」とランドセルを放り投げるくらい元気なのに、今日はその
まま自分の部屋に行ってしまいます。
  へんねぇ、おなかでも痛いのかしら。でも今朝はちゃんとごはんを食べたし。誰かとけ
んかでもしたのかな。お母さんはおいしいケーキをテーブルに置くと、絵里ちゃんを呼び
にいきました。
  絵里ちゃんは部屋で泣いていました。声を出さずに泣いていました。お母さんは絵里ち
ゃんの顔にさわり、泣いているのがわかると「何があったの?」とやさしく抱きしめまし
た。
  絵里ちゃんは泣きながら(言おうか、どうしようか)泣いたのはお母さんのこと。だか
らお母さんに話せば、お母さんもきっと悲しくなる。そんな風にまよっていました。
  お母さんには、ちゃーんと分かります。
  「絵里ちゃん、話してごらんなさい。お母さんの目が見えないから、それで何か言われた
んでしょう?」
  その通りでした。お母さんの目が見えないので、小さなころからいろいろ言われ、その
たびに絵里は(いやだな)と思います。ときには見えないおかあさんもいやだ、と思えて
しまうのです。
  デパートでトイレに入るとき「おかあさん、ここだよ」って絵里ちゃんが教えます。「え
らいのね」という人や、「かわいそうに、あんな小さな子が親の手を引いて」と言う人もい
ます。
  そんなときお母さんは「助かるんですよ」と笑っています。おとうさんに話したら「絵
里は見えないお母さんじゃいやなのか?見えなくても絵里のお母さんだぞ」と絵里を膝の
上にだきあげました。
  そして絵里が生まれる前、生まれてから、お母さんが工夫をして絵里を育てたことを話
してくれました。公園では遠くに行ってしまわないように、絵里の洋服に鈴をつけ、りん
りんと鳴る音で確認したり。お母さんは絵里のためにいっしょうけんめい。
  それを聞いてから、もう何を言われても平気。でも今日はちょっと悲しかった。仲良し
の真美ちゃんのお母さんに「絵里ちゃんの家に行くのはだめよ。お母さんの目が見えない
と、おうちの中が散らかっているでしょう。それに真美がお母さんにぶつかったりしたら
あぶないから、真美の家で遊んでね」と言われたのです。
  お母さんは見えないけれど、掃除機をかけるときや、台所のごみを捨てるときには、き
れいになったか、さわって確かめます。だから家の中はいつもきれい。
  でも絵里にはそれをうまく伝えられません。ただ悲しくて、真美ちゃんとも遊ぶきもち
になれなくて泣いていたのです。
  お母さんは「さあ、おいしいケーキがあるわよ、いつか真美ちゃんのお母さんも分かっ
てくれるわ」と平気。
  お母さんの焼いたケーキを食べたら元気が出ました。それで宿題の作文は「お母さんの
ケーキ」。
  家のキッチンは、いつでも決まった場所におさとうや、スパイスがあります。見えない
お母さんには、それでないと不便。でもそれ以外はみんなと同じお母さん。いいえ一つだ
けちがうのは、わたしのお母さんの作るケーキはおいしくて世界一。
  絵里の作文は校長賞に選ばれ、作文を読んだ真美ちゃんのお母さんは、「ケーキの作り方
教えて」と、真美ちゃんといっしょに土曜日にやって来ます。