団体貸出



「おじいちゃんのみかんの木」
田村 初美

 

 ぼくのおじいちゃんはあたまの中のけっかんがつまるびょうきになって、ねたっきりだ。

  おばあちゃんがおじいちゃんのオムツをとりかえる。きたない。くさい。ぼくは、はな
をつまんでとおいばしょににげるけど、くさいにおいがぼくをおっかけてくる気がしてな
んだかいやだ。おじいちゃんのしょくじはお母さんがてつだう。おじいちゃんは口のまわ
りもまえかけも、ごはんやおちゃをいっぱいこぼしてよごす。ぼくはじぶんがしょくじを
していてもおじいちゃんのすがたがあたまにうかんでごはんがおいしくない。おじいちゃ
んは夜中でも大きなこえでうなっていることがある。きみがわるいし、ねむれない。おじ
いちゃんはことばもうまくはなせない。ことばが人につうじないとおこって、ふじゆうな
手でものをなげることがある。わがままなおじいちゃんなんてきらいだ。

「みがん。みがん。はらけ、いご」

  おじいちゃんはこのことばをよく口にする。きょうもまた言っている。おじいちゃんは
みかんの木のあるはたけに行こうと言っているのだと、おばあちゃんはおしえてくれた。
びょういんに行くときはお母さんの車で行くのだが、はたけは車が入れないほそい道なの
でつれて行くのはむりだ。
 
「ぼくたちが赤ちゃんだったときにつかっていた、うば車にのせていけばいいじゃないか」
ぼくが言った。さっそくおばあちゃんとお母さん、いもうと、おとうとそしてぼくのみん
なでおじいちゃんをうば車にのせて出ぱつした。

「にんげんは、なんにもないところから体ができてあかちゃんになってどんどん体がうご
くようになり、としをとると少しずつ体がうごかなくなっていってまたなにもなくなって
しまうのねえ」とお母さんは言った。

  はたけにつくと、みかんの木のそばにうば車を止めた。このみかんの木はおじいちゃん
が小さいころからあったこと、日本の国が食べ物がなかったまずしいじだいにそだったお
じいちゃんが、おなかがすいたときにたすけてくれたたいせつなみかんの木であったこと、
おじいちゃんはみかんが大こうぶつであること、だからいつまでもきらずにおいてあった
ことをおばあちゃんが話してくれた。

  まい年少ししか実がならないし、とてもすっぱいみかんなので、だれにもなん年も食べ
られることなく、わすれられていたみかんの木だった。今年も四こしかなっていない。お
母さんが一ことってかわをむき、実をくちにいれてみた。
「あら、おいしい」

  ぼくも一つもらってたべてみた。かわがあつくて、うんとあまくてうんとすっぱくて、
たねがある。ぼくはたねを口からぷっとじめんにとばした。長い間、だれにも気づかれず、
みかんは少しずつあまいあじにかわってきていたのだった。残りの三このみかんもみんな
でわけた。でもおじいちゃんだけは

「みんあれ、らえろ。おれは、いい」

そういってうけとらなかった。

「みんあえ、らえろ」

と言いながら大こうぶつのみかんをじぶんだけは食べず、みかんを食べているぼくたちを
見守るように見つめているおじいちゃんの顔は、なんてたのもしく、なんてやさしいのだ
ろう。ぼくは、おじいちゃんはぼくたちかぞくをだれよりもあいしてくれているたいせつ
な人なのだとおもった。

  何ヶ月かして、おじいちゃんはなくなってしまった。おじいちゃんのみかんの木の下に、
ぼくたちがあのとき食べておとしたたねがめをだしていた。